大隈重信の父は、佐賀藩の砲術長でした。佐賀藩といえば、幕末に反射炉を最初に建設して、西洋式の最新砲であるアームストロング砲を鋳造することに成功した、幕末・維新期の火力ナンバーワン藩ですね。ということは、パパ重信はアームストロングとか撃てたんですかね。きっと、ガンタンクとかガンランスみたいなパパだったんでしょう。竜撃砲どーん!!
《日本語訳してみよう》
All the adversity I've had in my life, all my troubles and obstacles, have strengthened me.
大隈重信は外務大臣として条約改正交渉にあたっていたことがあるのですが、1889年、政治団体玄洋社の来島恒喜が投げた爆弾で重傷を負いました。閣議の後に、馬車で官邸に帰る途中のことでした。このテロの結果、大隈重信は右脚を切断することになりました。このときに大隈重信が着ていた服は、今も早稲田大学に保管されています。足は大隈の故郷である佐賀市の龍泰寺にあります。
あと、なにげに1910年、72歳の時に、白瀬南極探検隊後援会長とかやってますし、1914年には76歳という高齢で内閣総理大臣に再び就任します。すごいエネルギーですね。
《日本語訳》
人生で直面したすべての災難のすべて、そしてトラブルや障害のすべてが私を強くさせた。
(byウォルト・ディズニー)
「1分日本史」とかもやってます。
「15秒日本史」もあります。