【加藤高明の名言】
なすはなさざるに優る
Hey boys! You should apologize to girls for regecting a bill of women's suggrage.
日本語訳
ちょっと男子ぃ~、謝りなよぉ~! 男子のせいで女性参政権法案が通らなかったじゃん!
そういえば、あの小学校の学級会特有の女子の口調は全国共通なんでしょうか。そして、今もあの口調は受け継がれているのでしょうか。
のぶたボーイも、よく学級会で吊るし上げられていました。
加藤高明内閣は1925年に男子普通選挙法を通しますが、日本で女性の参政権が認められたのは戦後になってからのこと。1925年段階で女性参政権があった国はアメリカとドイツくらいでした。フランスでも第二次世界大戦後までもつれこむし、スイスではなんと1971年(以降)!
大正デモクラシーとかの時代の人ですが、まだ江戸時代生まれなんですね。総理に就任したときは64歳でした。
加藤高明は、三菱ととても仲がおよろしいです。
東大法学部を首席で卒業した加藤は、三菱に入社して、なんと25歳で三菱本社副支配人になりました。
三菱視点で見れば、新入社員の中から総理大臣クラスの器をもつ人間を瞬時に見切ったということです。
加藤もすごけりゃ、三菱もすごい!
というわけで、三菱の社員だった加藤は、やがて政治家の道を歩み始めます。
三菱視点で見れば、政界に三菱の刺客を送り込んだということです。三菱の「うちの社員を総理大臣にしようぜ計画」が大成功したということです。すごい企業ですね。
いずれAmazonが送り込んだ大統領とかも登場するのでしょうか。
こうして三菱とガッチリタッグを組んだ加藤高明は、「三菱の大番頭」と呼ばれるようになりました。
肺炎で体調をひどく崩していたにもかかわらず、国会に出席したため、さらに容態が悪化して、66歳で急逝してしましました。1926年1月28日のことでした。
【参考文献等】