誰も得しない日本史

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山本権兵衛 ―総理大臣列伝―

 
第1次山本権兵衛内閣は、1913年2月に発足しました。
山本権兵衛薩摩藩閥で、海軍系です。二度総理大臣に就任するのですが、一度目はシーメンス事件で引責辞任。二度目は、組閣中に関東大震災が起こったうえに、虎ノ門事件が起こってしまったので、またしても引責辞任することになりました。
「海軍の父」とよばれるほど海軍時代には活躍した人で、海軍軍令部を創設したりしました。ちなみに、日露戦争のときに東郷平八郎連合艦隊司令長官に抜擢したのも山本権兵衛です。
 
 
《英訳してみよう》
 
権兵衛:ニンジンはほんとうに目にいいんですか?
梅太郎:メガネをかけている馬をみたことがあるかね?
 
個人的には日本史ナンバーワンのイケメン老人です。波動砲!!!」とか似合いそうな感じ。若いころはビミョーですけど。
 
 
山本権兵衛は、1852年に生まれました。
薩英戦争のときは、まだ11歳です。このときは、弾薬運搬などの雑役をこなしました。
ソルジャーとしてのデビューは鳥羽・伏見の戦いで、このとき16歳です。軍隊への参加資格年齢に達していなかったので、なんと年齢を偽って参戦しました。
日清戦争日露戦争の間の、1898年に、ついに海軍大臣に上り詰めました。西郷従道の後任です。
山本権兵衛の好物はくだもので、野菜もよく食べたといいます。桜島のミカンが特に好きだったそうです。どこぞのヨサクとは違うというわけですね。
実際、脚気に対して伝染病説をとる陸軍は、多数の病死者を出しましたが、鈴木梅太郎が提唱したタンパク質不足説を認める海軍は、麦飯効果で大丈夫でした。
 
《英語訳》
 
Gonbe: Are you sure carrots are good for the eyes?
Umetaro: Have you ever seen a horse wearing glasses?
 
 
山本権兵衛は、退職した後は、元老にも元帥にもなれませんでした。海軍における功績は大きいのですが、総理大臣としての業績に目立ったものがないからでしょうか。それとも、軍部大臣現役武官制を緩和するなど、藩閥に反する政策も行っためでしょうか。それとも、質素な生活を送り、酒席にもまったく出なかった山本権兵衛は、政治的には強いグループを形成しなかったからでしょうか。
 
山本権兵衛の「ごんべえ」ですが、鹿児島市維新ふるさと館では、かたくなに「ごんのひょうえ」と呼んでいます。そもそも山本の実名は「盛武(もりたけ)」で、維新後に海軍兵学寮に通ってたころから、自ら「権兵衛」を使いだしたという経緯がありました。そして、「ごんべえ」はやがて本名扱いになりました。「ごんのひょうえ」というのは、一度祝詞でそうよばれたからだそうです。
もちろん「ごんべえ」じゃなくて、そこは「ごんべ(権べ)」だろって思った人は分かってる人です。
 


春のシューティングまつり 最終戦「いっき」

 

参考英文: 里中哲彦『1日1分半の英語ジョーク』宝島社

1日1分半の英語ジョーク (宝島社文庫)

1日1分半の英語ジョーク (宝島社文庫)

 

 

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