誰も得しない日本史

誰も得しません

ジャン・ピエール・田中舘愛橘 ―科学・技術史10―

 

明治時代には、世界最先端の研究を行う科学・技術者が輩出されます。

失ってみて…初めて分かることもあります。

 

 

《英訳してみよう》

 

きみと過ごす日はいつでも僕の大好きな日さ。(byプー)

 

f:id:Nobuta:20190612231035j:plain

画像:田中舘愛橘 - Wikipedia

 

 

田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)は、1856年に生まれました。開港と大政奉還のはざまで、ハリスが着任した年です。田中館家は陸奥南部藩の兵法家の家系でした。

愛橘は幼いころ、6歳のときに母と死別します。

 

 

《英文》

 

Any day spent with you is my favorite day.

(英文参照:映画「くまのプーさん」)

くまのプーさん (吹替版)

くまのプーさん (吹替版)

 

 

 

その10年後、愛橘の父、稲蔵は、子どもの教育のために上京することを決意します。土地や家を売り払った田中館一家は上京し、愛橘は慶應義塾に入学しました。その後、慶應義塾を退学せざるを得なくなったりと、いろいろあった末に、東京大学理学部本科に入学しました。東京大学時代の後輩で、寄宿舎に同室していた者に、長岡半太郎がいます。

nobuta.hateblo.jp

  

 

田中舘愛橘(Tanakadate Aikitsu)

物理学(physicist)

(参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Tanakadate_Aikitsu

 

地磁気の測定

→Tanakadate travelled widely in Japan, making a survey of gravity and geomagnetism for geophysical research.

※survey…調査

gravity…重力

geomagnetism…地磁気

geophysical research…地球物理研

 

 

田中舘愛橘は、受験的には地磁気の測定をした人として出てくるんですが、日露戦争以降は、日本航空機発達に寄与した人としてのイメージのほうが強いです。日露戦争の旅順攻囲戦のときに偵察用の気球制作の以来を受けたのをきっかけに、田中舘は、日本初の風洞を作成したりと、航空機の発達に寄与する研究を続けていきます。実際、老年になると朝日賞や文化勲章を受けるんですけど、朝日賞は「日本航空発達への貢献」に対して贈られているし、文化勲章は「地球物理学及び航空学」の功績に対して授けられています。

ものすごく雑に言うと、ゼロ戦がブーンと飛んでるのは田中舘愛橘のおかげなんです。

 

田中舘は30代のときに結婚して、翌年に長女をもうけるのですが、出産の10日後に妻をなくしています。さらに言えば、結婚の10年ほど前に田中舘の父は、割腹自殺をして果てていました。田中舘愛橘は、家族との死別に恵まれていませんね。

 

 I'm always like this...It's always when I lose it that I come to realize it.

(おれっていつもそうだ…いなくなって、はじめてわかるんだ(byジャン・ピエール・ポルナレフ))

 

 

その後、田中舘は再婚することなく娘を育て、95歳まで生きました。

 

 

ポルナレフのセリフは、集英社の『『ジョジョの奇妙な冒険』で英語を学ぶッ』を参照しました。

 

Youtubeのぶたの「誰も得しない日本史」 けっこう得する支店」で、
「1分日本史」とかもやってます。
ツイッターでは本垢のほか、難関私大受験生向けの日本史単語BOTもつくりました。
「15秒日本史」もあります。