誰も得しない日本史

誰も得しません

インド人を右に! ーレトロゲーマーが思い出す日本史ー

誰も得しない日本史ーーーーー
それは実戦日本史と
レトロゲームを組みあわせた
まったくあたらしいブログ・・・
 



 

さて、
右っかわにインド人をぶん投げさせたくなったとき、あなたはなんと言いますか。
 
 
《英訳してみよう》
 
インド人を右に!
 
(諏訪絵:工事中)
 
 
《英文》
 
Throw the Indian to your right!
 
「throw」の部分は、状況に応じて「put」「set」など、いろいろ応用がききますね。
「put」や「set」の場合は、
Put/Set the Indian on your right!
と「on」になるので注意しましょう。
 
昔、唯一のアーケードゲーム専門誌で「ゲーメスト」という雑誌がありました。
今みたいにネットがない時代、地方では唯一の情報源といっても過言ではありませんでした。
この雑誌は、ヒップでファンキーな誤植でも有名で、ドライブゲームの攻略記事で「ハンドルを右に!」としなければならないところを、「インド人を右に」として出版したため、今でも伝説の誤植の一つとしてレトロゲーマーたちの間で語り継がれることとなったわけです。
 
 
それでは、力ずくでインド人を日本史に関連付けましょう。
受験日本史では、インドが出てくる場面は多くありません。
ただし、二次試験に論述問題を課してくる国立大学や、戦後史を出題してくる私立大学では、インドについての知識は差になるところでもあります。
 
まず、明治時代後期、1890年代における、日清戦争前後の産業革命期以来、インドは綿花の主要な輸入元です。
インドから綿花をガンガン輸入するためにボンベイ航路が開かれたりしました。
 
戦後なら、1951年にサンフランシスコ平和条約を結ぶとき、インド・ビルマ・ユーゴスラビアは講和会議に出席しませんでした会議に出席したけど調印しなかったソ連・チェコスロバキア・ポーランドや、会議に呼ばれなかった中華民国・中華人民共和国との違いがよく問われます。
難関大学志望なら、1952年にインドと日印平和条約を結んだことまでおさえておきましょう。
(発展)
1952:日華平和条約
1952:日印平和条約
1954:日ビルマ平和条約
 
あ、今もう一つ日本史のインドネタを思いつきました。いずれ紹介したいと思います。
 
 
「インド人を右に」について、さらに学習を深めていきたい人は、
 
 
さあ、新たに始めてしまった、レトロゲーマーシリーズですが、最初っから無理がある展開になっております。
いきおいで始めたのはいいのですが、このままだと、「スーパーウリアッ上」から日本史を語らなければならない日がきてしまいます
これからも、レトロゲームから日本史を語るという、どこにニーズがあるんだ的な行為を地道に継続していきたいと思います。
 
 
Youtube
「のぶたの「誰も得しない日本史」 けっこう得する支店」で、
「1分日本史」とかもやってます。