誰も得しない日本史

誰も得しません

小ネタ集1

 

こちらは、いつか記事になるかもしれない、ネタのたまごです。

 

今日のクズ。わー、パチパチパチー。現代でも新人作家の登竜門は直木賞。そのもととなったのは、作家の直木三十五。ある日、直木のもとに借金の取り立てがやってきた。直木は一言もしゃべらない。何時間でもしゃべらずにねばる。取立屋が疲れると、「ハラへったからメシくいに行こう。メシ代貸して」と。

 

ホントは優しい?織田信長。信長の目に、いつも同じ場所にいる1人の物乞いが目にとまった。信長が聞くと、その者は呪いで代々心身が不自由となり物乞いであるという。信長は物乞いがいる集落を援助して物乞いのために小屋を作らせて、今後彼が飢え死にしないように集落の者に言い聞かせたという。

織田信長あれこれ パート1 - 誰も得しない日本史

  

最強クラスの戦国大名の1人の武田信玄だが、500年たった今でも、こっぱずかしいラブレターが残ってる。相手は男のコで、手紙の内容が、もう、言い訳がましい!浮気がバレて、ひたすら「浮気じゃないよ浮気じゃないよ。神に誓っても君だけを愛してる」と繰り返した。

 

信長を裏切った嫌われ者で、秀吉にあっという間に負けたヤムチャ者の明智光秀だが、結婚はイケメン婚。光秀の婚約者は輿入れを前にして病気になり、顔に醜い痕が残った。それを恥じて結婚を断る相手に対して光秀は、「君の疵はボクの疵さ」といって結婚した。

凡泥寺 織田信長あれこれ パート3 - 誰も得しない日本史

 

 

 

今日のクズ。わー、パチパチパチー。ある日、文藝春秋の菊池寛のもとに川端康成が訪ねてきた。川端康成は、後の日本人初のノーベル賞作家である。川端は菊池の横に座って

1時間黙っていた。菊池がたずねると川端は「二百円(今なら百万円くらい)いる。今日までに」と。菊池は金を貸し、返済されることはなかった。

 

江戸幕府最期の将軍は徳川慶喜。慶喜は一度将軍争いで負けたことがあった。このときの敗因の1つに、大奥の大反対があったという。それというのも、慶喜の実父の徳川斉昭が女好きで有名で、数々の悪行を重ねたあげく、大奥の女官を強○したという話もある人物だったから。

徳川慶喜 ー北斗の日本史- - 誰も得しない日本史

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遠藤周作の代表作は『沈黙』。個人的に。遠藤の趣味はイタズラ電話。声色を変えて友だちとかに「電報局からでーす」とかいってイタズラ電話していたらしい。

 

剣術の使い手がいっぱいいて、「壬生浪」と恐れられた幕末の人斬り集団といえば、新撰組。ところが、新撰組は敵方の後藤象二郎だけは狙わなかった。それは、新撰組局長の近藤勇がかつて後藤と会ったときに、後藤の振舞いに感嘆したことがあったから。後藤象二郎は、後に明治政府で大活躍することとなる。

  

1853年、泰平の江戸時代に突如黒船が来航した。ということで、ペリーがやってきて江戸幕府の鎖国政策を開かせたというのは有名な話。しかし実は、アメリカ人はその前から日本に来ていた。1837年には、モリソン号という民間商船が来航して砲撃されているし、1846年には、軍人のビッドルが開国交渉に来て失敗していた。

 

真珠湾攻撃は失敗だった⁉︎連合艦隊司令長官山本五十六は、機動力でアメリカに上回るためにアメリカの空母を叩きたかった。しかし、真珠湾に空母だけはいなかった。空母飛龍艦長山口多聞は、敵艦船だけでなく燃料タンクと航空機修理工場も叩くべきだと主張した。しかし、この意見は南雲忠一中将に黙殺された。

 

織田信長からねね(秀吉の正妻)への手紙がある。どうやら、ねねが秀吉の浮気を信長にチクったらしい。信長は「あなたは以前よりも倍美しくなっている」、「ハゲ鼠の藤吉郎(秀吉)にあなたはもったいなさ過ぎる」と、ねねを褒め、「藤吉郎を許してやってほしい」と、ねねを説得した。

 

伊達政宗が江戸幕府に謀反を起こそうとしていたという状況証拠がいくつかある。①秀吉の時代から謀反を疑われる行動をよくしていた。②大坂の役後、大名が戦争準備を検討するほど巷で謀反のウワサが流れていた。③将軍争いで負けた松平忠輝と仲が良かった。④ローマと提携しようとしていた。などなど。

 

逃げ足烈伝。1569年、信長は命令を無視した朝倉義景の討伐に向かっていた。ところが、信長の妹と結婚していた浅井長政が裏切ったのだ。妹婿が裏切るとはあまりに予想外!信長も最初は信じなかったほど。浅井が裏切ると、信長は完全に挟み撃ちにあう形。信長は秀吉や光秀、家康などにも伝えることもせず、全力でトンズラこいた。

織田信長あれこれ パート2 - 誰も得しない日本史

 

信長、天下どころか尾張統一すら成し遂げずに家臣に裏切られた。柴田勝家・林佐渡守・林美作守が叛旗をひるがえしたのだ。すると、信長は供の者を1人連れて、相手の城に遊びに行った。相手は驚き、信長を切腹させようと考えた者もいたが、堂々と遊びにきた主君を殺したとなると恥ずかしいとして、信長を見送った。

 

サイパン島で尊敬されている日本人がいる。日本軍はサイパン島を支配していたのだが、戦前に建てられた松江春次の銅像は今も大切にされている。松江はサイパン島を砂糖生産地として、人々の生活を豊かにした人だから。松江は質素な生活を好み、多くの寄付もしていたという。

 

北海道が置かれたのは、明治時代になってから。それ以前の呼び名は「蝦夷ヶ島」で、鎌倉時代くらいに「夷島(えぞがしま)」と言われるようになったのがその名の始まり。さらにさかのぼると、大化の改新と奈良時代の間の7世紀後半に「越渡島(こしのわたりしま)」と出てくる。明治時代になって、日本っぽい名前にしようとなって、最初は「北加伊道」という案が出たが、「加伊」は蝦夷と同義ということで「海」に変えられて、「北海道」となった。

 

ゴーゴー外様!幕府を裏切れ‼︎薩摩藩烈伝

俗に「薩摩77万石」という薩摩藩だが、桜島の火山灰の影響もあり国土は肥えておらず、実質は35万石程度だっという。また、江戸幕府との確執もあって、江戸時代後期には五百万両もの借金を背負っていた。薩摩藩の年貢収入の70〜100年分くらいである。平成31年度の鹿児島県の税収が1500億円くらいだから、10兆円くらいは借りてる感じ。ここに登場したのが調所広郷。まずは、借金を無利子の250年払いにした。

 

坂口安吾の代表作は『堕落論』。ある日坂口は、酒場で1人壁に向かって飲んでいた。グラス一杯の酒を飲み干した坂口は、グラスを壁にぶん投げた。もう一杯飲み干すと、また壁にぶん投げた。ずーとそれを繰り返した。なんじゃそりゃ。

 

 

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