誰も得しない日本史

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「浮き世」?「憂き世」? 斑鳩 Chapter1.理想(Ideal) ーレトロゲーマーが思い出す日本史ー

 
散ればこそ いとど桜はめでたけれ
  うき世になにか久しかるべき
(散るからこそ、桜はいっそうすばらしいのだ。このつらい世の中に永遠のものなんてないのですから。)
 
これは、平安時代に成立した伊勢物語の歌です。国風文化ですね。
あるとき、在原業平っぽい男が、桜の宴のときに次のようにうたいました。
 
世の中にたえてさくらのなかりせば
 春の心はのどけからまし
(世の中に桜の花がなかったら、春の気持ちは(桜が散ることを心配して悩むことがなく)ゆったりできるのに。)
 
この歌に対する返歌が、最初に紹介した歌なんです。
 
このときの「うき世」には、「憂き世」という漢字をあてます。意味は、「つらいこの世の中」です
ところが、江戸時代の元禄文化浮世草子とか、化政文化滑稽本の『浮世風呂』(式亭三馬とかは、「うきよ」に「浮き世」の字をあてていますね。もちろん浮世絵もです。この違いは何なのでしょうか。
 
 
「うきよ」とは、もともと仏教的な言葉でした。仏教的な厭世観(=世界を悲観的にとらえること・世界に絶望して厭うこと)をもとに、この世界をつらい(=憂し)世とみて「憂き世」と書いたのです。ところが、そこに漢語の「浮世(定まることのない世)」の意味が加わって、「浮き世」とも書かれるようになりました。さらに江戸時代になると、楽しく生きようぜっていうムードが広まって、なぜか意味が180度ひっくり返って、「浮き世」を「楽しむべき世・享楽的な世」という意味で用いるようになりました。そして、江戸時代の文化が花開くことになりました。
 
 
そう考えると、斑鳩の1面と3面のカットインの「浮き世」は、「憂き世」でもよかったのかもしれません。
今日は1面のものをご紹介します。
 
「嗚呼、斑鳩が行く・・・・・・
 
望まれることなく、浮き世から
捨てられし彼等を動かすもの。
それは、生きる意志を持つ者の
意地に他ならない。」
 
Alas, Ikaruga is going...
 
Undesired, unwanted them,
What makes them go?
It is nothing else than the
principle of the man who
has the reason for being.
 
 
詩的な表現ですね。
まず、"alas"は日常生活では使いません。文学的な表現です。『不思議の国のアリス』で、
"...but, alas for poor Alice!"
(でもかわいそうなアリス、ざんねんでした!)
とかね。まさに、「嗚呼(ああ)」ですね。
 
あと、倒置もめんどくさいですよね。
They are undesired, unwanted. が倒置されて
Undesired, unwanted are they. になって、さらに
are they が them に変化しています(口調を整えるため)。
 
高校で英語やっているときに、倒置法にキレたことはありませんか?
今までのは何だったんだ! どう区別つけるんだ!って。
分かります。個人的には、高校英語で倒置法はやらなきゃいいのにって思います。外国語を学ぶときは、なによりも論理的な文章を作れるようになることが大事だと思います。
 
 
のぶたの「誰も得しない日本史」 けっこう得する支店」で、
「1分日本史」とかもやってます。